神戸大学・流通科学大学 名誉教授
コロナ後を睨んで、顧客関係の見直しが要請されています。DX(Digital Transformation)はそのひとつですが、同時にブランド見直しにチャレンジする会社も出てきています。トヨタや資生堂といった日本のマーケティングの潮流をリードしてきた会社がそうした試みに挑戦していることもあり、あらためてブランドに注目が集まっています。
本論考では、「日本流ブランドづくり」というテーマでブランド経営の理解を深めたいと思います。1回目として、「新しいブランド概念」を考えたいと思います。
ニューコーク事件
皆さんは、ニューコーク事件をご存じでしょうか。もう35年も前の事件ですので、知らない方も多いと思いますが、この事件が、マーケティング世界におけるブランドの役割を見直すひとつのきっかけとなったと思います。
コカ・コーラ社は、それまでのコークの販売を止めて新開発のニューコークを導入したのですが、それに対して消費者たちが反乱を起こした事件です。消費者たちによる抗議の電話、デモ、不買運動等々の事件が相次ぎ、結局コカ・コーラ社はニューコークの販売を諦め、元のコークに戻すことになりました。
ペンダグラストは『コカ・コーラ帝国の興亡』の中で、消費者はオールドコークへの深い強い思いがあったと、つぎのように述べています。「人々は人生のあらゆる場面~初めてのデートとか、勝利や敗北の瞬間とか、楽しいグループのお祝いとか、物思いに沈む孤独とか~に結び付いた、このアメリカを象徴する飲料を敬っていた」。
ペンダグラストが述べるように、消費者たちはコークをたんなるモノ=飲料として見ることができなくなっていました。そこには、コカ・コーラ社の巧みなマーケティングがありましたが、どんなマーケティングだったかは、石井淳蔵『ブランド』(岩波新書)を見てみてください。
そうした巧みなマーケティングもあって、「たんなる炭酸飲料のコーク」が、個々の消費者たちの生活のさまざまな出来事と結びつくことで、消費者たちには唯一無二の存在になっていきました。かれらのコークへの愛着は半端なものではなくなり、そして事件が起こったというわけです。
ニューコークやペプシは、「モノ」としてのコークの代替品にはなりえても、「コト」的にはまったく代わりにはなりえません。 初めてのデートや勝利や敗北の瞬間に寄り添ってくれていたのは、ニューコークでもペプシでもなく、コークだったのですから。
ブランドの新しい性格
この事件は、ブランドの大事な性質をあぶりだしました。
第1に、ブランドの創造においては、個々の消費者に起こっている「コト」が重要な役割を果たすということです。商品は個々の消費者の人生や生活のコトと結びつくことで、ブランドになるのです。皆さんが愛着をもっているブランドを考えてみてください。それには必ず、皆さんにとってかけがえのないコトが思い出となって重なっているはずです。
第2に、ブランドは「消費者との共同生産物」です。商品をいくら宣伝してもブランドにはなりません。商品が個々の消費者において各自のコトと結びつかないかぎり、「ブランドへのかけがえのない愛着」は生まれません。
第3に、ブランドは「市場資産」です。長期にわたって企業の業績に影響を与えるという意味でも、また市場開発の拠点になるという意味でも、ブランドは企業にとって資産になのです。3つの性質を1図に示しておきます。

経営者のブランド認識の変化
この事件と前後して、経営者のブランド認識は変わっていきました。その証拠に、それまでブランドに無縁だった日用品や農産物・水産物商品やB2B企業においても、商品や組織のブランド化を図る動きが出てきました。
また、世界のマーケティングをリードする先進的なマーケティング・カンパニーもブランドの基本方針を変えて、ブランド拡張策をとり始めました。ブランドは資産で、市場開発の起点になりうるという認識が支配的になってきたことを示しています。
いずれの出来事も、20世紀が終わろうとする頃の出来事です。その時から、経営者のブランド認識が「わが社にとってかけがえのない資産である」という風に変わっていったことがわかります。皆様の会社では、どうですか。
【参考文献】
・石井淳蔵・廣田章光編著『1からのブランド経営』碩学舎、2021年。
〈了〉