『日本流ブランドづくり➁』ブランド「らしさ」の追求     石井淳蔵先生

神戸大学・流通科学大学 名誉教授

ソニーは、日本の多くの会社がブランドの戦略的価値を認識できなかった戦後間もない時期から、ブランドを戦略的に用いてきた会社です。日本というより、世界で見てもこれほどブランドに対する深い理解をもった会社は少ないと思います。

ブランドに、「顧客の信頼」が宿る

1950年代、ソニーがまだ東京通信工業という社名だった時代の話です。盛田昭夫がアメリカに営業に行ったとき、「ソニーのブランドでは売れないから、われわれのブランドに変えてもらえれば十万台の注文を出す」というオファーがあったそうです。しかし、盛田はその話を断って、「ソニーを将来、絶対、有名なブランドにしてみせる」と啖呵を切ったそうです。これがソニーのブランドの原点になったとい言われています。その後、社長を引き継いだ大賀典雄も自身の「私の履歴書」のなかでもこのエピソードを取り上げているほどです。ソニーには松下電器や日立製作所など同業のライバルが数多くいました。そのなかで、ソニーは他社とは際立って異なるブランディング(ブランドづくり)政策を試みました。ライバルの松下電器は、製品カテゴリーごとにあるいは顧客ターゲットごとにブランドを導入しました。たとえば、テレビ受像器事業では、大型画面やワイド画面やフラット画面へと製品・技術が変わるのですが、それに応じて、〈画王〉〈横綱〉〈タウ〉とブランド名を変更していきました。受像機の新技術が出るごとに、名前を変更し大々的キャンペーンを行うのが同社のやり方でした。

パソコンも同様です。業界草創期において、法人向けパソコンで〈パナコム〉、法人向けノート・パソコンで〈プロノート・ジェット〉と〈プロノートミニ〉、個人向けパソコンで〈ウッディー〉、ノート・パソコンで〈レッツノート〉といった具合で分野ごとに異なるブランド名が付けられました。

洗濯機でも同じです。遠心力の原理を用いて水流をつくりだすという画期的技術を導入した洗濯機の名前は、そのまま「遠心力洗濯機」です。日立製作所もあまり変わりません。衣服がからまない棒をとりつけた洗濯機には「からまん棒」、静かさを売り物にして「静御前」と続き、その後も簡単操作の「これっきりボタン」や、「お湯取物語」という商品名で市場導入していました。家電業界ではこのように、技術が変わるごとに商品名を変え、消費者に受けるような「わかりやすい」ネーミングを付けるのが一般的でした。業界他社にはブランドという概念は、まだ定着していなかったことがわかります。

しかし、ソニーだけは違いました。「ブランドに顧客の信頼が宿る」と考えたのでしょう。いちど付けたブランド名は、ほとんど変更することはありませんでした。テレビ〈トリニトロン〉、ビデオカメラ〈ハンディ―カム〉、パソコン〈VAIO〉あるいは携帯音楽機器〈ウォークマン〉、最近ではゲーム機の〈プレイステーション〉やスマホ〈Xperia〉などは、そうして育ってきたブランドです。

ブランド価値は首尾一貫した活動を導く

これらのブランドは、その製品の基盤技術が変わっても、ブランド名は変わりません。〈ウォークマン〉はソニーを代表するブランドですが、カセットデッキからCDやMD、さらにはアップルの〈IPOD〉が出てきたときも〈ネットワーク・ウォークマン〉で通しています。ブランド名の継続は、ブランド価値の継続を意味します。それにより、製品や技術やマーケティングが長期にわたって首尾一貫したものとすることができます。なぜなら、そのブランドに「相応しい製品」、そのブランドに「相応しい技術」、そのブランドに「相応しいマーケティング」が求められ続けるからです。新しく商品を企画するときにおいても、〈ウォークマン〉という名前から始まるはずです。つまり、「〈ウォークマン〉という名に相応しい新商品・新技術とはなにか」からスタートするはずです。結果的に、〈ウォークマン〉の名の下に、それに相応しい技術/機能/製品/資源が集まり蓄積されることになります。

この図は、ブランドが、企業組織からと生活者からの両方の貢献により成り立つ構図を示しています。同時に、企業組織と生活者とが結びつくために、ブランドが不可欠のメディアとなっていることも示しています。 〈了〉

参考文献

盛田昭夫『MADE IN JAPAN―わが体験的国際戦略』朝日新聞社。

石井淳蔵『ブランド:価値の創造』岩波新書。