芝浦工業大学非常勤講師 エム・ビィ・アイ代表

■はじめに
マーケットは顧客ターゲットとオケージョン(時と場合)からなるマトリックスとして説明される。例えば、以前、スポーツ用品の品揃えを解説した雑誌記事にこのようなものがあった。A店は子供用のサッカーボールが780円と980円、B店は1980円から4980円、同様にA店はトレーニングシューズが980円と1280円、B店は1980円から4980円だからB店は高い。知っている人が値段を見れば、A店はサッカーといっても小さな子のお遊び用、B店はサッカークラブで練習する子供用ということはすぐに分かる。おそらく知識のない人が単純に価格だけを調べて記事を書いたのだろうが、商品と価格だけを見て、その後ろにある消費者(目的・用途~ニーズ・ウォンツ)を見ないと判断を間違える。顧客対象、目的・用途が違えばニーズが違い、該当する商品が違うから価格も違う。重要なのは商品/価格の後ろにあって表からは見えないマーケットである。以前、近くのSMで小さな刺身用ホタテ(貝柱)が1パック398円で売っていた。隣駅にある別のSMではそこらのSMではチョッと見かけることのない立派な刺身用ホタテ(貝柱)が大きめのパックで980円だった。商品を見れば明らかに980円の方がお買い得だが、こうなるとどちらが高いか安いかという議論は成り立たない。同様に同じ売場に並ぶフライパンでも580円と1万円だと、同じ商品として比較することは難しくなる。30数年前に買った我が家のステンレス5層鋼の鍋は4点セットでたしか4万円くらいだった。当時の流行と仕事柄から試しに買ってみたが、今も現役でビクともしていない。無水料理もできるのに1点1万円とすると1年当たり300円くらいにしかならない。買う時にはチョッと考える価格だったが、ここまで長く使えると、使い捨てで使う安価な鍋とは別のマーケットあることが理解できる。このように顧客ターゲットとオケージョン(あるいは消費者の志向や価値観)の違いは、そこにあるニーズ・ウオンツの違いになる。同じ商品として扱われる商品の中にも全く違うマーケットの商品が混ざっていることを理解する必要がある。
難しいのは全く同じ商品・サービスであるのに人によって意味=ニーズが違う場合である。例えば、ミラーレスカメラが写真好きの人からInstagramマニアの女性へと客層を変えると、同じ「写真」でも、写真の意味が全く変わってくる。旅行好きの人はそのプロセスやそこで過ごす時間、甘いもの好きの人は美味しいものを食べる至福の時間が重要であるが、Instagramが最終的な目的になると、旅行もスイーツもInstagramの題材、自分を演出するワンシーンに過ぎず、その先にはInstagramを介した自己表現と記録という重要な役割がある。しかもそれは時間の経過とともに自分史として蓄積していくから、その瞬間だけでは終わらない。同じ商品・サービスでありながら、異なる客層が異なる目的・用途でその商品・サービスを購入するようなことが当たり前になると、マーケットはこれまでのような一次目的だけといった単純なとらえ方では理解できなくなる。そのような意味では、我々の身近にあって幅広い意味を持つ「食」の分野は「物」として商品を見ているだけでは理解できない多様なマーケットを形成している。たとえば日常食のための食材も、キャラ弁では作る人と食べる人とのコミュニケーションツールになるし、自己表現・自己主張の道具、クラフト(手工芸)的な趣味など様々な意味を持つ。また、コロナ渦では親子で一緒にパンやクッキーを焼く共同作業・共通体験の題材としての役割も果たしている。このような身の回りにある変化は、単に商品という物を見ているだけでは理解できない。それがサービスであっても同様である。モノ・コトの背景にあるマーケットを見ることがより重要な時代になっている。
◆いろいろなマーケットの見方
(1)商品の意味、目的・用途などによって異なる購入する際に決め手となる特性
消費者が商品を購入する際に重視する特性は、①「好き/嫌い」「憧れ」といった情緒的な要素、例えば好きなタレントがCMに出ている化粧品、憧れの選手モデルのスパイクなど、②機能・性能・品質など使う上で必要となる要素、例えば掃除機や洗濯機など、③価格、コストパフォーマンス、例えば消費量が多く、メーカーによる品質・性能の違いがあまり認められない洗剤など、商品のタイプによって異なる。当然、売り方もタイプによって変えるべきである。
(2)商品の意味の変化に伴う購入層、使われ方などの変化
以前は園芸というと一部のマニアが品評会や品種改良を目的として盆栽・ラン・山野草などを育成する趣味でしかなかった。その後、観葉植物がインテリアというポジションで広く一般に普及し、ハンギングバスケットやコンテナガーデンなどが紹介されるとクラフト(手工芸)的意味合いで中高年の女性に支持されるようになった。時代とともに商品の意味・ポジションが変わり、顧客層、用途・目的など=マーケットが変わりながら現在に至っている。このように一部の特殊なポジションから一般化してマーケットを広げるケースは多くの商品に見ることができるが、市場環境、流通チャネルなどの要素も併せてみる必要がある。
(3)表舞台(店頭)から消えて地下化(表から見えないEC)するマーケット
住環境の変化から、いまではすっかり店頭では見ることがなくなった「錦鯉」は、ECへと流通チャネルを移し、表からはほとんど見ることができない。同様に世帯人員の減少からミカンなど果物の箱売りは店頭ではあまり見かけなっている。コメも都市部では1~3kg、5kgなどの中小サイズ中心に店頭に並ぶ。品種は限られ、10kg~30kgなどの大容量(玄米、精米)を店頭で見ることはない。店頭では商品回転率の悪い商品(重量物・嵩物だと高齢者は持ち帰れない)の取り扱いを絞るが、一方では生産者がECにチャネルを移して全国(あるいは海外)を相手に様々な商品を販売するように商品流通は分化している。そのようにして店頭から消え、あるいははじめから店頭に並ぶことなくECに特化するケースは今後も増えていくことは確実である。これらのマーケットは目的をもって探すか偶然見つかることがない限り目に触れることはないが、限られた商圏とは違い全国を相手にすることで確実に地位を確立しつつある。筆者ももう10年以上コメは店頭で買っていないし、冬のミカンから初夏にかけての河内晩柑など柑橘類の箱売りも同様である。いずれも近隣のSMでは入手できない品種、銘柄、サイズであるが、別に高価なお取り寄せでもなく、リーズナブルな価格帯の商品(送料無料)である。今シーズンに買った柿などはいずれも生産者直であるが、普段なかなか店頭では見られない3Lや2Lといっても大き目のサイズが、1個当たりに換算するとLサイズの店頭価格の7割程度(送料無料)である。訳ありと表示されても店頭に並ぶ商品と同等以上の商品が手に入る。量販店は大量販売する(量が安定してまとまらない商品は仕入れない)ことで産地・品種の選択幅が狭まり、価格も高くなるという構造的矛盾を抱えている。
(4)メインマーケットの裏にあるマーケット
マーケットが飽和状態になると、多くの企業は価格競争を強めてくる。そのような膠着した状況が続くと表(既存)のマーケットに対して、その反対側にある裏(従来、対象と考えていなかった)のマーケットを開拓する企業が現れてくる。目の悪くない人に眼鏡を売ったブルーライト・カット・メガネのJINS、スポーツ経験・習慣共にない女性(主に主婦)に「女性だけの30分フィットネス」という「(主目的ではなく買い物などに出掛けた)ついでマーケット」を開拓したCURVES、身体を動かす、汗を流すためのスポーツジムとは違い、自身のライフスタイル変革を身体という目に見える形で実現した「結果にコミットする」RIZAPなどである。
ビールメーカーは、高アルコール酎ハイの次は0.5%と超低アルコールビールで新たなマーケットを開拓しようとしている。酒を飲まない、飲めない人が居酒屋メニューである酒の肴や締めのご飯などいわゆる居酒屋飯を好むことも一つのきっかけなのかもしれないが、「酒を飲まない、飲めない=既存の酒類(例えばビール)-アルコール(=ノンアルコールビール)」という発想はいかにも陳腐だし、短絡的である。酒を飲まない・飲めない人をターゲットにするのであれば、既存の酒類を前提に置くような発想を捨て、居酒屋飯に合う新たなジャンルを開拓すべきだろう。
(5) 基本機能から二次機能・三次機能へと変化するマーケット
基本機能はモノがモノとして存在するための必要最低限の条件、食品であれば安全に食べられて、空腹が満たせ、一定のカロリー・栄養素が得られるということになる。二次機能は基本機能とは異なる副次的な機能、例えば歓談・交歓の触媒となるスイーツや軽食、コミュニケーションやクラフト・自己表現・成長の証としてのキャラ弁、冠婚葬祭の食事など。三次機能は有名シェフ・パティシエ、あるいは3つ星レストランのメニューなど、ブランドと同様に食品という物から独立して別の意味・価値を持ち出したものである。経済の発展、消費の習熟に伴い、モノへの志向は基本機能から二次機能・三次機能へとウエイトを移しつつある。テレビやYouTubeでは大食いや激辛企画が数多く見られるが、いずれも「食」の基本機能ではなく、娯楽の道具=二次機能ばかりである。
(6) 物の充足から状況改善・充足へ、物中心から自分中心へ、物販から参加・体験型消費へと進化するマーケット
「消費者は商品という物ではなく、商品を通して効用を買っている」とは古くから言われていることだが、まさに現在は、物が異常に強調されたバブル時代・価格破壊時代を経て、あらためて「効用」が見直される時代といってもよいだろう。SDGsやデジタル化進展の影響もあるが、物の購入・所有(ストック)よりも機能の使用(フロー)というように消費者の規範、価値観、消費行動は変わり、シェアビジネスが注目されるように多くの分野で変化が起こっている。観光業界に見られる「sightseeingではなくsight doing」=参加体験型消費は物中心から自分中心へと機軸が移ったことを意味しているし、インスタ映えを前提とした旅行やスイーツ、コミュニケーションや自己表現・成長のためのツールという意味合いの強いキャラ弁なども明らかに「物」ではなく「自分」が中心にある。多くのモノ・コトが自分中心に向かって動き出しており、物の向こうにあるマーケットの重要性がより高まっている。