『近未来の小売戦略~業態の垣根が風化する時代~』 上原征彦先生

(公財)流通経済研究所 理事・名誉会長 

 前稿で示唆したように、AIを中核とするDXシステムがインフラ化していくと、論理に基づく作業の自動化も大きく進み、川下に位置する小売チェーンでも、製品開発が比較的容易になる。同時に、川上に位置するメーカーも容易に小売活動ができるようになる(既に、メーカーによる消費者向けネット通販が増えている)。つまり、DX時代になると、業態の垣根が風化していく。但し、川上と川下とでは戦略の違いが見られることも当然である。例えば、川下(小売)での製品開発は、技術開発というよりも、むしろ既存の技術を活かした仕様開発が中心となるが、川上(メーカー)でのそれは、多くの場合、本格的な技術開発を志向することになる。

近未来の経営の巧拙は、創造力に左右されるが、創造という行為は概ね2つのタイプに分けられる。1つは、製品や技術などを開発していく機能創造であり、いま1つは、人間同士の協働を生み出していく関係創造である。例えば「店員と顧客との会話を進める」「趣味のサークルを主宰する」等がここでいう関係創造に含まれる。小売チェーンの戦略の成否は、何よりもまず、この関係創造を首尾良く実現できるか否か、そして、この関係創造を機能創造に繋げられるか否かに大きく左右されてくる。

DXの効果が希求される時代では、業態間の垣根が風化することに伴い、企業の多角化戦略の重要度が顕著に高まっていく。この場合、1つの経営資源を多方面に活かすことができる「範囲の経済」(経済主体が多品種化・多角化しても、単位当たり費用は上がらず、むしろ低下していく態様)の追求が必須となる。例えば、過疎化が進む多くの地域では、バスやタクシーの需要が少ないため「規模の経済」が効かず、赤字に見舞われ、その撤退が住民福祉を劣化させている。こうした事業は、地域スーパーがオンディマンドで兼業することで存続が可能になる。何故ならば、DXによる自動化の推進によって、人的資源等に余裕ができるため、当該スーパーの従業員が、住民の注文に応じて、交通業務を兼務できる(「範囲の経済」を作動させる)ようになるからだ。

これからの小売チェーンは、DXの進化を基盤としつつ、関係創造力を活かして果敢な多角化戦略を採用するようになる。より具体的には、まず、品揃えの店頭販売だけでなく、介護、地域イベント、料理教室、幼児保育、地域交通など様々な事業機会に向けての多角化が展開できるようになる。包括的にいうと、各々の店舗が、地域コミュニティの活性化に繋がる様々な機会を見出すことができ、新時代の小売チェーンは、単なる物販業ではなく、コミュニティ創生産業という方向に脱皮していく。もちろん、こうしたコミュニティ創生に向けて個性的な製品開発の機会も多く掌握できるようになる。

商業史の研究者J.ルフランによると、B.C.3000年からA.D.300年に至る古代地中海文明の開花は、総じて、商業の展開・発展に依るところが大きい。それは、遠隔地商業(卸売機能)が、地域に密着した近隣商業(小売機能)と結び付き、各々の地域の特徴を地中海全域に伝えることによって、部分(各地域)と全体(地中海全域)との相互作用を創出したからである。その後、ローマの支配が強まる中世になると商業と文明は停滞期に入るが、ルネサンスを迎える頃から商業が再生し、よりグローバルな規模で遠隔地商業と地域商業が繋がっていく。チェーンオペレーションは、こうした「繋がり」の発展型の1つであり、これからの小売戦略は、地域創生とグローバル化との相乗効果を創造することに焦点が当てられていくであろう。