東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故の発生から昨日で11年が経過した。年月の経過とともに、教訓をどう語り継ぐかが課題となる中、各地で犠牲者を追悼し記憶を伝える行事が行われた。2011年(平成23年)午後2時46分、マグニチュード9.0で、発生時点において日本周辺における観測史上最大の地震であった。
▼あの日、帝国ホテルで日本スーパーマーケット協会の理事会を開催していた。大きな揺れを感じたのだが、帝国ホテル(旧本館)は、関東大震災の起きた日に開業したが、崩壊を免れた地震に強い建物と聞いたことが頭を過ぎり、会議を継続して参加者から顰蹙を買った。被災状況を知ったのは、会議中止後に見たTV画面からの情報によってだった。その日は、会議参加者の多くがホテルロビーの床で配布された毛布に包まっての一夜を過ごさざるを得なかった。ただ、事態に遭遇した時の帝国ホテルの対応の素早さ、協会事務所近くにある百貨店、高島屋本店が帰宅困難者を受け入れるために店舗の一部を開放する姿を目にして、本当に有難いことと心からの感動を覚えた。他にも多くの企業、個人が救済のために対応してくれていた。
▼被災から11年目が経ち、死者は1万5900人、行方不明者は、2523人となったと報じられた(警察庁9日)。亡くなられた方々に、心から哀悼の意を表すると共に、私たちはこれから何をしていくのかを考え、決意することが大事であると思う。
復旧も、文字通りの元(旧)に戻すという、これまでの手法でインフラ面のそれは進んだ。ただ人口減少下でも元に戻すことを急いだので、結果的に過大なものになってしまった地域も多々あると思える。被災地の再生のための公共投資だが、地域の実情とは関係なく全国一律規格で行われてしまったような気もする。復旧に必要だったのは、暮らしやすい空間をつくる「グランドデザイン」と実現のための「知恵」、そして「覚悟」にあったように思えるのだが。
▼東京電力福島第一原子力発電所事故の影響も大きく、被災3県は全国と比べて人口減少が急速に進んでいる。福島9.7%、岩手9.0%、宮城2.0%の減少率で、全国平均の1.5%減を上回る。現在でも避難生活をしている福島県双葉町をはじめ、住民の帰還が進まない7町村の減少率が特に大きい。高齢の独り暮らしや夫婦だけの世帯が増えているし、若い世代の働き口も減っているという。各自治体は復興商業施設などサービス産業を充実させて交流人口を増やす取り組みを続けているのだが、コロナ禍で思うような効果を出せていない。
年月の経過と共に薄れがちな教訓を語り継ぐためにも、異常気象や災害、コロナ禍のようなパンデミック、長引くロシアのウクライナへの侵攻などを乗り切るためにも事業継続力強化計画の見直し、そして防災対策マニュアルの再点検を是非して欲しいと願う。
(2020・03・12)