朝日新聞に「折々のことば」というコラム欄がある。古来の金言からツイッターまで、ことばからめぐらせた思索をつづる朝刊掲載のコラムで、哲学者の鷲田清一氏が執筆している。10月末のこの欄に、スーパーマーケットの店員(京都)が発した『すぐ気ぃついてたら、よかったんですけど』という言葉が載っていたのだが、いつまでも頭に残っている。商人としてなどと言うつもりはない。ただただ暖かい気持ちにさせてくれたのだ。
▼コラムにはこうある『知人は、買った品物を袋に詰める台に読みかけの本を忘れたのを帰宅してから気づき、慌てて取りに戻った』と・・。きっと、「そこのサッカー台の上に本がなかったでしょうか。うっかりして大事な本をなくしたようでして・・・」とレジにいた女性店員に声をかけたのでしょう。するとレジにいた女性店員に掛けられた言葉が、『すぐ気ぃついてたら、よかったんですけど』といものであったという。
▼コラムには、『本はきちんと店の奥にしまわれていた』とあり、その店員の発したことばに対してエピソードを『相手の不注意にあきれるのではなく、なくさなくてよかったですねと微笑むだけでもなく、客の焦りや取りに戻る労までねぎらう濃(こま)やかな心配りに、知人はグッときたらしい』と書いていた。自分自身、長い期間に渡って店頭での販売業務に携わっていたので、こんな対応をすることが出来ていたかを何度も自問自答してみた。
▼お客さまから、「グッときた」と思って貰わねばいけないのだろうが、これが難しい。「接客五大用語の唱和」からは、このような対応が生まれることは少ないだろう。そこで、商業人としての「しつけ」、流通人としての「訓練」、「教育」の違いを考えて見た。美談を聞かせるのではなく、経験と技術に裏打ちされた技術力を養成しなくてはならない。精神論や精神主義でなく全人化を目指す教育を施さねばならない。この女性店員も、しつけの励行やマニュアル利用で生まれたのではないだろう。
2023/11/09