自宅周辺には、田や畑が多くある。5月もこの時期になると水田には水が張られ、ほとんどの田に苗が植えられる。日本の水田の風景は原風景と言われるもののひとつで良いものだ。子供の頃には、農村の共同体システムがあり、田植え時期には集落総出で互助し合い、作業を進めたものだ。社会的なインフラ、社会経済システムをうまく作り出し、ひとつの集落でどの家も没落しないようにするという相互扶助のシステムがあった。
▼最近は、機械を使ってひとりで簡単に田植えができてしまう。相互扶助のシステムは、相互規制のシステムでもあったので、それを嫌ったわけではないのだろうが、農繁期の仕事をお互いに手伝う文化はなくなりつつあるのかもしれない。田植えの時期になると、高校の2年先輩だった評論家、思想家であった松本健一の著書『砂の文明・石の文明 泥の文明』を思い出す。彼は、民族と風土のあり様を3つのカテゴリーに分類している。「砂の文明」としてのイスラム、「石の文明」の欧米、「泥の文明」のアジアと分け、そして各々の本質が、「ネットワークする力」、「外に進出する力」、「内に蓄積する力」であることを考察している。面白く世界の動きが良く理解できる独創的な文明論だ。
▼田植えで植えられた苗と苗のあいだは大体30cmの間隔になっている。この間隔に関する笑えないエピソードがある。文化大革命前の「大躍進」時代の中国で大失敗した農業政策があったのだ。日本のように多くの米を収穫しようと計画し、「密植法」と称して、苗と苗のあいだを極端に詰めたのである。日本のやり方は無駄だと考え、密度を濃くすれば、その分だけ収穫量は増える。しかも、風が吹いても倒れないと信じて実行に移した。だがその結果、その水田は全滅したのだ。風が通らないために大量の病原菌や虫が発生してしまったからだ。
▼この大体30cm程度という間隔にも、科学的、経験的意味があるということになる。仮に100俵の米が収穫できる水田で、翌年120俵収穫したいと思った場合、水田面積を増やすことは難しい。とすると同じ水田で120俵に増やすしかない。一本の稲穂から100粒の米がとれていたものを120粒とれるようにするのだ。そのための水や田の品質管理、暑さや寒さ対策、病虫害に対応出来るような品種改良などを続け、ギリギリの工夫や技術を積み重ねることになる。この努力を松本氏は、「泥の文明」が持つ「内に蓄積する力」と評価しているのだ。「石の文明」のエリアではこういった努力は無意味なのだ。
日本が1980年代に経済大国になる要因のひとつは品質管理や品種改良といった領域での技術革新にきわめて長けているからである。今、その技術は不要な時代なのか、われわれにその技術がなくなってしまったのか見直し対応する必要がありそうだ。
(2022・05・25)