昨日、長崎市に原爆が投下され77年目を迎えた。1945年8月9日は、6日の広島市に続いて、長崎にも原爆を落とされたのだ。広島では「ウラン」、長崎では「プルトニウム」と、異なる放射性物質を使った原爆が投下された。それぞれの威力を確かめる狙いがあったのでは、と指摘する人もいる。大戦後の世界覇権を争うであろうソ連を牽制するための投下だったという見方もある。
▼人手不足が止まらなかった時代があった。埼玉県内にあるスーパーマーケット企業の人事部長を担当していた時代だった。バブル景気と呼ばれる1986年頃からから1991年までの超好景気状態の時代、小売業の人事採用者には地獄のような日々であったと記憶している。
「うちの子供、スーパーのレジ係にするために育てたのではない」などと、採用活動の途中で採用予定者の父兄に言われた。この時期に初めて県外採用を思い、データとして県外への就職者が多い5つの道県の高等学校の就職課の先生を訪ねたのだ。そのひとつの県が長崎県であった。
▼一年間に何度となく同じ高校を訪ね、採用活動を続けるのだが、日曜日を挟む日程で、休日を過ごすために長崎の市内観光バスに乗り、気分転換を図ったのだが、観光地のひとつに「長崎原爆資料館」があった。長崎市内の浦上地域上空で原子爆弾が炸裂し、長崎市の当時の推定人口約24万人に対し、45年末までに約7万4000人が亡くなった。長崎原爆資料館見学は衝撃であった。原爆の爆風で柱が失われて1本柱で立つ鳥居、焼け残った学校の校舎などの「被爆遺構」、投下までの経過や被爆後の惨状などを展示で知ることができる。
米国は日本の真珠湾攻撃をきっかけに、第二次世界大戦に参戦するのだが、ナチス・ドイツが原爆の開発を進めているとの情報を得て研究を急ぎ、45年7月に史上初の原爆実験に成功。広島市、小倉市、長崎市が投下目標とされ人類史上初めて核兵器が実戦で使用されたのだ。重要な軍事拠点を破壊し、日本を早期に降伏させようと考えたのも理由とされているがたまらない。長崎は戦艦「武蔵」を建造した造船所や製鋼所、兵器製造工場などが集まる日本軍の重要都市であった。
▼「原爆、戦争なんて遠い昔のこと」とはいえない現在の世界情勢がある。ロシアのプーチン大統領がウクライナへの侵攻時に核兵器の使用を示唆し、世界に緊張が走った。ストックホルム国際平和研究所は、世界に計1万2705発の核弾頭があり、ロシア、米国、中国、フランス、英国、パキスタン、インド、イスラエル、北朝鮮の9カ国が保有していると推計している。核兵器の廃絶を求める広島、長崎の思いと、世界の現実には大きな隔たりがあるのだ。核兵器の使用がもたらす悲惨さを直接知る被爆者が減少する中、広島・長崎の声を世界にどう伝えていくのかが課題になっている。
人手不足の対応について書き始めたのだが、30年ほど前の事がフラッシュバックしてしまった。私たちの平和産業の健全な存続を改めて祈った。
(2022・08・10)
