手段と目的(ゴール)と・・・

東京五輪・パラリンピックをめぐる汚職事件だが、容疑が事実であれば、東京大会は巨額の賄賂が行き交った大会として近代五輪の歴史に大きな汚点を残すことになるのは間違いない。「平和」がテーマの五輪も、近年は環境問題への取り組みや多様性の重視、共生社会の実現といったことも重視し始め、アスリート達のひた向きな姿勢もあり価値は高まりつつあったように思える。

▼それだけにスポンサーの選定には、高いモラルと法令順守の精神、手続きの透明性が求められていたはずだ。五輪と言えば、9月7日の日経新聞『スポーツの力』欄に編集委員 北川和徳氏の意見が掲載されていた。そこでは、日本の五輪競技の関係者を取材すると、本来の目指すべきものは競技の普及であり、発展であるはずなのに、実際はメダル獲得が目標であり、ゴールではないかと感じるというのだ。五輪で活躍すれば注目が集まる。だが、それは競技の普及や発展に結びついてきただろうかと疑問を呈していた。

▼記事の中で、ドーム創業者の安田秀一氏のコラムを引用して日本と米国のレスリングの金メダルについての指摘があった。2021年の東京五輪で日本の金メダルは5個、米国は3個だった。だが、競技人口は日本の約1万人に対して米国は約23万人(会員登録者数)だという。レスリングは五輪で日本のメダル量産に貢献してきた競技。残念ながら、それは国内の普及にはまるでつながっていない。同じ事は柔道でもいえる。メダルをたくさん取る日本だが、フランスやブラジルの競技人口は発祥の国をはるかに上回るというのだ。

▼1964年の東京大会を転機として日本の五輪スポーツが盛んになった。金メダルを獲得した日本選手の活躍によって社会に認知され、国民に身近な存在となり、実業団チームによる日本リーグや国による補助金などでトップ選手を育てるためのシステムも整った。結果、この成功体験から、メダルを取ればすべてうまくいくという意識が日本のスポーツ界に広く深く浸透していないか。一握りのトップ選手を育てるより、草の根レベルで競技を日常的に楽しむ層を増やすことが未来のためには必要なのだ。東京五輪・パラリンピックが普及や発展の追い風になっているのは、若者に人気のスケートボードやスポーツクライミングなど新興スポーツとパラスポーツだけだと思うとあった。

我々の業務においても目的と手段をともすると取り違えてしまうことはよくありそうだ。DX(Digital Transformation)についてもDigitizationとDigitalizationの違いを認識しなくてはならないが、Digitizationを最低限クリアしていないと先に進めない事もあり、これをゴールと考えている人が本当に多い。業務プロセスをデジタル化により効率のよい状態に変化させ、まったく新しい顧客体験を実現していくのがゴールになるはずだと思うのだが。

(2022・09・09)