米国大リーグ、エンゼルスの大谷翔平選手が、最高価値で1年契約を交わした。今年のオフには年俸調停の権利を得るが、シーズン終了間際に球団と3000万ドル(約43億5000万円)の1年契約で合意したことがニュースで流れた。今季が年俸550万ドル(約7億9750万円)であったので、445%増になる。歴代の日本人メジャー選手で最高額になるという。日本の球界に置き換えると、ソフトバンクが12球団で年俸総額が一番高いという。そのソフトバンクの今季の総額が42億円程度と言うので、大谷翔平選手1人でソフトバンク全員の年俸より高いことになる。彼の活躍から見れば「彼にふさわしい」とコメントしたい。
▼このニュースを聞きながら、日本と米国の賃金の考え方の違いについて考えてみる。スポーツ選手は特別の面もあるが、日本社会は高度専門家に高い報酬を与えていない。今年2月に「Amazonが従業員の年収上限を円換算で約4000万円に引き上げた」と報じられた。技術者の引き抜きに対抗して、優秀な技術者確保が目的という。高額な金額に驚くが、米国では格別に珍しいこととはいえない。OECD(経済協力開発機構)によると、2020年における賃金は米国の7.28万ドルに対して、日本は3.85万ドルと約53%程度しかない。
▼しかし、専門家の年収や大学院卒業生の初任給はこれよりずっと大きいのだ。平均値で見たときの日米格差よりも、高度専門家における格差の方が大きいのだ。日本での賃金所得は米国より平等に分配されており、米国では所得の偏りが著しいと言うことになる。これは、分配の問題だけでなく、専門家としての能力が評価されているかどうかと言うことになる。こうなるのは、米国はジョブマーケットが形成されているからだ。転職にジョブハンティングや人脈に頼らなければならい日本では、専門家の評価は十分に行われることが難しい。
▼賃金格差を生む基本的な違いは、米国企業は収益率が高いことだ。勿論、人間の幸せは所得で決まる訳ではない。しかし、社会全体として所得が重要であることを否定するわけにはいかない局面にある。社会全体が幸せになるための「十分条件」ではないにしても「必要条件」であることに間違いない。中国国民の政府に対する態度を見ていると痛感する。岸田内閣の所得再分配政策を行うにしても、元手がなければ国民は貧しくなるだけのことだ。
「ジャパン・アズ・ナンバーワン」ともてはやされた時代を知っている者には、今の状況はおかしいと感じるのだが、若い人たちの間ではこの状態が当たり前と諦めている人が増えていないかと危惧する。1970年代に米国流通業視察セミナーで初めて米国を訪れたとき、その豊かさに圧倒された。その時と同じような格差が再現されることを心配してしまう。
日本の小売業の近代化は、このような格差を埋めることを使命として取組んできたはずだ。生産性の向上を実現し、使命へ再挑戦のときだ。
(2022・10・04)
