「これだけの名作を書いてきた人が、なぜ――」・・・

映画好きな方なら誰でも知っているであろう。「羅生門」、「七人の侍」、「日本のいちばん長い日」、「日本沈没」、「砂の器」、「八甲田山」、「八つ墓村」など、歴史的傑作、怪作のシナリオを生み出した、日本を代表する脚本家・橋本忍のこと。彼の決定版評伝『鬼の筆 戦後最大の脚本家・橋本忍の栄光と挫折』(春日太一著 文藝春秋)が昨年11月末に発刊された。橋本 忍の破天荒な映画人生の真実に迫る作品で、全480ページの単行本だが楽しめた。

▼橋本は、1918年兵庫県の生まれで、軍隊生活中にかかった肺結核による闘病生活の中から、脚本家として1950年にデビューした。デビュー作の「羅生門」がヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞、日本映画として初めて国際映画祭でグランプリを獲得したのだ。その後も「七人の侍」「どですかでん」など黒澤明の監督作8本で脚本を担当した。そのほかにも数多くの傑作を発表したのだが、なかでも松本清張の長編を脚色した「砂の器」で大ヒットを記録し、「八甲田山」「八つ墓村」など話題作を手がけ、多数の賞に輝いている。

▼著者がおこなった十数時間にわたるインタビューと、関係者への取材、創作ノートをはじめ遺族から譲り受けた膨大な資料をもとにつくられたものだが、邦画ファンなら思いもよらない速さで読了できる。面白かったのは、脚本家デビューして以来、幾多の名作を生み出してきた橋本の映画人生は、「栄光」そのものだったろう。だが、キャリアの終盤の「幻の湖」は、「これだけの名作を書いてきた人が、なぜ――」と困惑する作品であった。その後、「挫折」の連続になってしまう。

▼興行的にも内容的にも大失敗に終わる。自分でプロダクションを設立し、企業経営面でも成功させて来た橋本だが、それまでの作品では合議制に近い形で進められ、それによって各部門でカバーし合い、チェック機能が働き、作品の精度、濃度を高めて来たのだが、プロデューサー、原作、監督、脚本、編集をすべて自身が一手に担ってしまったのだ。偉くなってしまうと、周りにそれを指摘する人が居なかったのだ。人材面の適材適所としての配置と言う面からも楽しめる単行本であった。

2024/01/20