前回、「プロフェッショナルとしての倫理」と記したが、ドラッカーは「倫理」も企業には不可欠と言っている。ただし、此処での倫理とは、巷でよく言われている企業倫理ではない。仕事をしている人たちは、その仕事に対してはプロの立場にあるはずだ。プロならばしてはいけないことがあるはずで、それをドラッカーは「知りながら害をなすな」という言葉で説明をしている。すなわち責任の倫理である。第4章-19に次のようにある。
▼「マネジメントの立場にある者はすべて、リーダー的地位にあるグループの一員としてプロフェッショナルの倫理を要求される。すなわち責任の倫理である。プロフェッショナルの責任は、既に2500年前、ギリシャの名医ヒポクラテスの誓いのなかに、はっきりと表現されている。「知りながら害をなすな」である。プロたるものは知りながら害をなすことはないと、顧客が信じられなければならない。これを信じられなければ、何も信じられない」
▼「ヒポクラテスの誓い」とは、古代ギリシャの文書群にあるギリシャ神への宣誓文で、医師の倫理や任務に就いて謳ったもの。一文に「私は能力と判断の限り、患者に利すると思う治療法を選択し、害と知る方法を決して選択しない」とある。ドラッカーは、顧客に対して必ず良い結果をもたらすと約束することはできないが、自分の企業の利益だけを考えて、不正を平気ではたらく企業が増えたら、世界はとんでもないことになると憂いていたのだ。
▼上田 惇生先生は「至極まっとうなことを言っているだけなのだ」と念を押す。会社は社会のために存在し、利益のためではなく、人間を幸せに導くために存在していることを『マネジメント』を読んだ時、目から鱗が落ちたように気づかされると言う。組織には「存在理由」に加え「正統性」が必要となる。それは「人の強みを生かす」ことで、企業は一人ひとりの強みを生かして初めて正当性を得るという。これが、ドラッカーの理想企業なのだ。
2024/10/26