どう表現すべきか、どうしたら喜んでもらえるかを考えていた・・・

長嶋茂雄さんが亡くなった。長く巨人で活躍し「ミスタープロ野球」と呼ばれたその存在は、野球という枠内だけでなく、多くの人々の記憶に残り続けるに違いない。立教大学を経て、1958年に巨人に入団した。我が家にはTVが未だなく、近くの友人の家で、対国鉄スワローズ(現ヤクルト)とのデビュー試合を観戦したのを良く覚えている。金田正一との対戦で4打席連続4三振であった。これも脳裏に刻み込まれた数々の名シーンのひとつだった。

▼74年に現役を引退するまで本塁打444本、首位打者6回などの記録を打ち立てた。成績も立派だが、それ以上にここぞという場面で結果を出す力を持っていた。昭和天皇が観戦した初の天覧試合でのサヨナラ本塁打、豪快なスイング、軽やかな守備の場面など話し出すと尽きない感じがする。三振やエラーでも“華”があった。敗戦後の過酷な体験を耐え忍び、少しでも前を向こうとする時代に、未来を照らす明かりだったといえるのではないか。

▼長嶋さんは常々、ファンが第一だと語っていた。大学時代から自分をどう表現すべきか、どうしたら喜んでもらえるかを考えていたという。そのための努力を怠らなかったという。指導者としても松井秀喜をはじめ、後進の育成に力を注いだ。2004年に脳梗塞で倒れたのだが、その時の主治医の内山真一郎医師(東京女子医科大学名誉教授)は、高校時代の同級生である。この事からも長嶋茂雄さんを応援し続けて来たので特に残念に感じる。

▼石破首相も哀悼の意を表しているが、昭和20年から30年代に生まれた我々の世代にとっては、本当に憧れの人であったし、一つの時代が終わった感が強い。小売業にいる身としては球場での観戦は限定的であったが、読売巨人軍を励ます会のイベントには率先して参加させて貰った。右半身麻痺などの後遺症が残った姿は見たくなかったという人も多いが、誰にも出来ないことをやり遂げたことに変わりはない。心からご冥福を祈りたい。

2025/06/05