「食べること」「共にあること」の意味を伝える使命・・・

7月に入った。ここ暫く異常とも思える暑さが続き、農作物への心配が高まる。地球規模の傾向なので手に入れたくても入れることが出来ない状況に追い込まれる可能性も否定できない。日本の「食」は、コメ問題ではないが供給面の問題と生活面、文化面での課題を抱えている。食の産業は「単なる商品提供者」ではなく、人々の健康・家庭の団欒・社会のつながりを支えるプラットフォームなので、食卓の未来に責任を持つ視点が問われているはずだ。

▼岩村暢子著『ぼっちな食卓』は、現代日本における家庭の食卓の変化と、その背景にある社会的・文化的要因を描いたルポルタージュなのだが、長年にわたり日本人の食生活を調査し、特に「家族で囲む食卓」の崩壊と、「個食」「孤食」と呼ばれる現象の広がりに焦点を当てている。この本で取り上げられているのは、子どもと親が同じ家に住みながら食事を共にしない、家庭内でもそれぞれが好きな時間に好きなものを食べる「すれ違い食事」の実態だ。

▼この本では、かつては家族団欒の象徴であった食卓が、「ぼっち」=一人きりの空間になりつつあるという現状が描かれている。例えば、母親が子どもの好きなメニューばかりを作り、自分は残り物をつまむだけ、あるいは子どもは冷凍食品やコンビニ弁当で済ませ、家族が揃うことはほとんどないという家庭が多く紹介されている。このような食卓の個別化の背景には、親子関係の変質、家事の個人化、そして「手作り神話」や「家族愛」への解体があると著者は指摘している。

▼母親は子どもの「好き嫌い」に過剰に気を遣い、栄養バランスよりも機嫌を損ねないことを優先しがちとある。その結果、食の質が下がり、家庭料理は簡便で個別対応のものになりつつある。子ども側にも「食への関心の低下」がみられ、食事は栄養補給や空腹を満たす手段にすぎず、味わいやコミュニケーションの場ではなくなっている。将来の食文化や人間関係のあり方にも大きな影響を及ぼすものと心配になる。食品スーパーも「食べること」「共にあること」の意味を伝える使命がある。

2025/07/01