『小売業の “いま” 』開講記念講演要約 ②

(昨日のつづき)

Daniel W. Hooker教授

Ⅲ.リテールメディアとAI ― 小売の新しいインフラ

次に焦点を当てたのが、AIとリテールメディアである。「Walmart」、「Costco」、「Target」などの大手企業は、広告・デジタルマーケティング・AI投資に巨額の資本を投じ、業界構造を変えている。小売メディアは単なる販促の枠を超え、オンライン・店舗内・オフサイトを結ぶ「リテール・エクスペリエンス・ネットワーク」として拡大している。AIは、商品検索から発見、購買、レビューまで消費者行動を再設計しつつある。教授は、「AIは脅威ではなく、人間の創造性を拡張する学びの道具である」と述べ、テクノロジーを人間中心の方向へ導く責任は経営者自身にあると語った。また、アマゾンが生み出した「フライホイール効果(Flywheel Effect)」にも言及。優良なサプライヤーが増えることで選択肢が拡大し、トラフィックと広告収入が循環的に成長するモデルが、小売業全体の基盤を支えていると分析した。

Ⅳ.「人」がつくる現場力 ― 感動を生む店とチーム

講演のトーンが最も温かくなったのは、日本の店舗視察のエピソードだ。教授は、(株)紀ノ国屋の都内店舗を訪れた際、鮮魚部門のマネージャーが自らの仕事を誇りをもって語る姿に感動したという。魚が届き、加工され、顧客に届くまでの工程を丁寧に説明するスタッフたち。その熱意と清潔なバックルームを見て、「小売の真の力は人間の誇りと信頼関係に宿る」と強調した。ある従業員が異動しても、その店を訪れるために1時間半も運転してくる常連客がいるというエピソードを紹介し、「それこそがロイヤルティの本質」だと語った。AIやデータでは測れない“関係の質”が、店をブランドに変える。教授はここに「人材育成」の意味を見いだす。コーネル大学でもリテール業界を志す学生を育てる教育プログラムを設け、「学びを通じて未来を築く」使命を共有している。

Ⅴ.健康志向・価値観変化 ― 新時代のライフスタイル

近年、アメリカではGLP-1系薬の普及による食行動の変化が注目されている。食べる量の減少や健康志向の高まりが購買に影響し、衣服や交友関係、さらには家庭生活にまで波及しているという。教授は「これは単なるトレンドではなく、“健康と消費”の再定義である」と述べ、企業に求められるのは「人間の生き方の変化を理解し、伴走する姿勢」だと指摘した

Ⅵ.地域小売と新しい成長モデル

2020年代、アメリカではダラーツリーやダラージェネラルといった低価格業態の急成長が、実店舗の競争構造を一変させた。一方で、TargetやWalmartのようなウォルマートのような大手も安定した集客を維持しており、「クロスショッピング(複数業態間の併用)」が新常態となっている。教授は、「この多様な消費行動の中で、対立ではなく“補完”を志向する戦略が重要になる」と述べ、共存的なリテール・エコシステムの必要性を訴えた。

Ⅶ.AI時代の小売に必要な「教育」と「人間力」

講演の締めくくりに、教授は再び教育の話に戻った。「コーネルの学生たちは私にとって家族のような存在。彼らを通じて、私は学び続けている」と述べ、自身の誇りを語る。そして、「小売業とはテクノロジー産業である前に、人を育てる教育産業だ」と強調した。AIやリテールメディアが進化する時代だからこそ、人間の誠実さ、創造性、学び続ける力が競争優位を決定づける。コーネル大学の理念「Any person, any study」は、教育だけでなく、企業経営・地域社会にも共通する羅針盤である。

2025/10/21